2006年 08月 29日
拾ヶ堰
b0005708_21422941.jpg江戸時代に建設された農業灌漑用水路の"拾ヶ堰"は、水不足で悩まされてきた安曇野を県下有数の穀倉地帯に変えました。

安曇野で水不足というと不思議な気もしますが、西の北アルプス側から東にむかって扇状地が広がった地形となっているため、西側の山裾で水は地下に浸透してしまい、再び地上に湧き出て来るのは犀川近くの「安曇野わさび田湧水群」と呼ばれる地域になります。
したがってその間の広範な地域では水が不足していたわけです。

さて"拾ヶ堰"ですが、松本市島内の奈良井川で取水し、梓川の下を横切って豊科側に出てきています。
写真は、梓川を横切った水が豊科側に出てくるその場所です。
対岸の松本市側("ラーラ松本"の近く)にも同じような場所があります。

『安曇野の風景と暮らし.lw・「拾ヶ堰」』
『安曇野の風景と暮らし.lw・「安曇野わさび田湧水群」』
『安曇野の風景と暮らし.lw・「あづみ野やまびこ自転車道」』
『安曇野の風景と暮らし.lw・「安曇野」』
『安曇野の風景と暮らし.lw・「豊科」』
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by azumino_sky | 2006-08-29 21:57 | 安曇野の写真(下記分類以外)


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